楽しい投資研究所の旅日記

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灼熱の城塞都市コルドバ

(※2018年9月 コルドバ

コルドバを訪れた。セビージャから高速鉄道AVEで42分。8世紀半ばから後ウマイヤ朝の首都。10世紀の頃の世界最大都市のひとつ。城塞都市とも呼ばれた。街を囲む城壁が今も残る。

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コルドバの城壁。この壁の向こう側にユダヤ人街。

後ウマイヤ朝は後継者争いに外交問題が重なり、元首(カリフ)が部下から追放されるという形で11世紀に滅んだ。

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※メスキータの外壁

日差しは強く日中の気温は40℃近い。すれ違ったアジア人観光客の顔が真っ赤で、この強い日差しのなか外を歩きすぎでは?と心配したが、鏡を見たら自分も同じく真っ赤で、他人の心配をする前に自分の頭のハエを追い払えみたいなことわざがあったようななかったようなと自戒する。

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グアダルキビル川にかかるローマ橋。対岸にカラオラの塔。

 ローマ橋とメスキータ、それにユダヤ人街、これらを合わせ「コルドバの歴史地区」として世界遺産に登録されている。ローマ橋を渡ってカラオラの塔も見ておきたかったのだが、灼熱の陽射しにやられてしまいそうで断念した。

セビージャのカテドラルとコロンブスの影

(※2018年9月 セビージャ)

セビージャのカテドラルを訪れた。世界で三番目に大きな聖堂である。元はモスクだったがレコンキスタの後、大改築というかモスクは破壊され、キリスト教の大聖堂建立となった。

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*セビージャのカテドラル

モスクからカテドラルに移り変わったという点では、イスタンブルアヤソフィアと逆のパターンである。

1401年着工の1519年竣工。百年以上かけて造られた。完成当時、世界最大の聖堂の地位をハギア ソフィアから奪ったといわれる。ただ、そのときハギア ソフィア(アヤソフィア)はオスマン帝国に接収されてモスクへの改築が進められていたはずではあるが。

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イスタンブルアヤソフィア(2015年9月)

ヒラルダの塔のみがモスクのミナレットだった当時のまま破壊を免れて残されている。内部を徒歩で登れる。エレベーターはない(なくて良い)。延々と登ることになるので足腰の鍛錬には最適である。

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*ヒラルダの塔

また堂内には、見どころのひとつとしてコロンブスの墓がある。そういえばスペインに降り立ってからというもの、ずつとコロンブスの影に付きまとわれているような気がする。

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*カテドラルのなかにあるコロンブスの墓

バルセロナではランブラス通りの端、海に面したところにコロンブス銅像があった。グラナダでは市の中心部にイザベラ女王と一緒の銅像が建てられていて、ここセビージャではカテドラルのなかにきらびやかなコロンブスの墓がある。コロンブスは破格の英雄なのだ。

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*女王イザベラとコロンブスグラナダ
以前、Wikipediaコロンブスの項を読んでどん引きしたのだが、ネイティブ アメリカンにどんな仕打ちをしようが結果的にはスペインに莫大な富と大繁栄をもたらす端緒となった仕事を成した人物である。ただ個人的にはやはりどん引きの人物ではある。

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コルドバのアルカサルのなかにもコロンブス

それはさておきこのカテドラル、隣接するアルカサル(宮殿)とインディアス古文書館とともに世界遺産に指定されている。なのでアルカサルも訪れたい。なのにアルカサルのオフィシャルサイトで予約しようとしてもはじかれるのだ。結局、十回以上予約を申し込んだのだが全てはじかれた。抽選とかではないはずなのだが何なのか。原因も意味も分からない。

そういえばフラメンコのショーをネットで予約する際にも似たようなトラブルに見舞われた。セビージャはなんとなく良いところなのだが、情報空間での難度が高い。

 

バルセロナとスリの話

(※2018年9月 バルセロナ

旅先で日本人の方を見かけても基本的に声をかけたりしないのだが、声をかけられればお話しもする。

僕は日本人とすぐにばれるようで、ヨーロッパの街を歩いているとコニチワなどと声をかけられたりもする。一方、家内の場合はたいていアニョハセヨーである。韓国人と思われているようだ。旅先で韓国人旅行者の方からアー ユー コリアン?と声をかけられているところも何度か見た。

それはともかく、自国語で話しかけられると人は無意識にでも親近感を覚えてしまうものらしい。そして話しかける側はそれを知った上で行っているようで、そういう輩の店に近付けばたいてい高くつくというのは旅先あるあるである。

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カタルーニャ広場

さて、バルセロナの宿にはカタルーニャ広場近くのホテル カサ キャンパーを押さえた。ランブラス通りから路地に入って4ブロック目に位置する。このホテル、廊下を挟んで部屋をふたつ使える。一方の部屋にはベッドとシャワールームがあり、もう一方にはテーブルとソファ、それにハンモックが吊るしてある。こういうコンセプトのホテルは初めてである。

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*なかなか快適なハンモック

そのホテルの朝食レストランで、日本人旅行者のご夫婦にお会いした。娘さんがホテルも航空券も手配してくれたのだという。いい話である。お互いバルセロナに着いたばかりであったので、気を付けて楽しみましょうといい別れた。

三日目の朝、レストランでまたお見かけしたので無視するのもあれかなと声をおかけした。なにやら少々どんよりされている。

聞けば昨日、スリに遭ったという。バルセロナ滞在二日目、手持ちのユーロ5万円相当を持っていかれた、高い授業料だったと話してくださった。思い当たるのは地下鉄。現金をそっくり失ったのでホテルに帰るのにも難儀した。電車に乗れば皆が泥棒に見えるとも。気の毒な話である。

このときは僕も知らなかったのだが、バルセロナは凶悪犯罪が少ない半面、スリ被害が多い。その多さは世界トップに君臨するレベルである。有名観光施設も要注意なのだが地下鉄での被害がもっとも多い。美術館のなかも油断は禁物である。

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バルセロナの地下鉄

スリはたいてい複数人がチームを組んでターゲットを狙う。電車内でのスリは手元を隠すのにジャケットを用いることも多い。ジャケットを身に着けた上でさらに別のジャケットで手元を覆うスリもいるらしく、そこまでくればもうかわいいという他ない。

そういえば、ランブラス通りを歩いているとき、何やら大声を張り上げながら走り去る集団を見かけた。スリ集団を誰かが追いかけていたものと思われる。また、ホテル近くのランドリー店で洗濯していたときにも、店の目の前で中年男性のスリが取り押さえられ、警察に突き出されていた。

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*奥でへたり込んでいるのがスリのおじさん

なぜそんなにスリが多いのかは不明なのだが、こちらでは一日400ユーロまでの窃盗行為は罰金で済むという。そんな取り締まりの方針に問題があるのかもしれない。そもそもいくら盗んだとかスリ本人に訊いてわかるものなのか。

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*にぎわうランブラス通り

その後また、ホテルでそのご夫婦とお話しする機会があったのだが、目にする人が皆スリに見えて疲れるので食事は近くの通りで済ませていると話されていた。ああ、ランブラス通りなら店はいくらでもあるので問題ないですねといったところ、いやランブラス通りから横に入ったホテル前の路地で済ませているのだと。パエージャも食べたが普通だったという。

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*ランブラス通りから横に入ったホテル前の路地

ところで、先日会った日本人旅行者はもっと高い授業料を払っていた、財布ごと9万円スられたんですってとも仰っていた。心なしか嬉しそうだったのが何やら印象深い。

僕はバルセロナがけっこう好きなのだが、日本人はいろんな意味で上得意客の様子である。

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カタルーニャ広場近くにいたポケモン

現代アートがわからない

現代アートがわからない。

マドリードではソフィア王妃芸術センターとティッセン・ボルネミッサ美術館も訪れた。ソフィアにはピカソゲルニカがある。ミュージアムパスで入れる。ティッセンはパスの対象外。

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*ソフィア王妃芸術センター

写実的な絵画はわかる。精緻に写実的でも写真とはちがう。受ける感覚がまるで異なる。この感覚はなんなのか。画家の技量以上の何かが込められているような気がしてならない。

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カタルーニャ出身のマリア・フォルトゥニによる「ロダリスカ(女奴隷)」

いわゆる近代アート・現代アートは今もわからない。ただの落書きにしか見えない。展示してある部屋や額縁の方がよほど立派である。落書きをなぜこうも仰々しく展示していられるのか。これに高い価値を覚える人がいて、さっぱり価値を感じない僕のような人間がいる。ダリはわかる。ルソーも何となくわかる。ピカソもごく一部の作品のみだがわかる。あとはわからない。

もしどこかの善意の人が僕宛に匿名で大判の現代アート作品を送り付けてきたらどうなるだろう?価値が分からない僕は悪質ないたずらだと憤慨し、粗大ごみ一直線となってしまうだろう。それどころか処分費用がもったいないからとのこぎりとカッターで切り刻んで捨ててしまうかもしれない。 

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*カラヴァッジョは好きである。

写真技術の普及が画家に与えた影響。二度の大戦が人の感性に与えた影響。戦争成金の存在。様々な要因が考えられるが、ひと昔前に比べて人の美的感性が衰えてしまったのではないかといつも考え込んでしまう。

僕が分かっていないだけなのだ。そう自覚した上で、理解しようと努めてきたのだが説明をいくら聞いてもわからない。説明を何度聞いてもわからないということは説明している本人が分かっていない可能性も考慮に入れなければならない。

逆に考えてみる。価値とは主観的なものだ。価値がよくわからないこと自体が価値を持つとしたらどうだろう?

租税回避の手段としてのアート作品、という存在意義もある。客観的価値評価の難しい美術品を高値で買い、画廊などを介して安く売り、譲渡損失を計上、課税所得を削る。複数の者の手を経て結局は元のオーナーのもとに納まる。オークションが開催されたりもするがそれは出来レースに過ぎない。 

こう考えれば落書きに異常な高値が付くことも納得できる。現代アートはコンテクストで考え評価すべきなどというわけのわからない理屈よりもずっとシンプルであり腑に落ちるというものである。

実際に取引が成立し高値が付いたからといって、そのことを以て作品に価値があると考えるのは早計なのだ。

日本の地方の美術館を訪れると、わけのわからない現代アート作品が仰々しく展示されていたりする。この作品を買った学芸員は果たして本当にその作品を理解し、価値を認識して、対価を支払ったのだろうか、そしてそのお金はどこから出ているのだろうかと少々苦々しく思ったりもする。

スペイン語の実践とやさしいスペインの人々のこと

バルセロナ 2018年9月)

タクシーやバル、ホテル、美術館などで片言のスペイン語を話す。スペイン語を話す機会などそうそうないので貴重な機会である。

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*ボケリア市場。市場のなかで酒が飲める。

 ひどい言い間違いもした。バルセロナ滞在中、市場のバルで飲み食いし、お勘定をと頼むとき本当なら「ラ クェンタ」というべきところを、僕は「ラ クァレンタ(ポル ファボール)」といった。それは「四〇」である。「お勘定をお願いします」でなく「四〇お願いします」だ。意味がわからない。

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*海鮮のおつまみは絶品。

 でもわかってくれた。その上でスペイン語上手だね、といってくれるのだ。

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*このあさりもすごくおいしい。
その後もあちこちで片言のスペイン語を話すたびに、ペルフェクトだ!上手だ!といわれた。あれ、もしかして自分スペイン語の才能ある?スペイン居心地いいし。前世スペイン人だったとか?

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*シシトウの素揚げも外せない。

などという考えはただの妄想なのでご注意願いたい。要するに何がいいたいのかというとスペインの人々はやさしいということである。

 

アントニ ガウディのこと

バルセロナ 2018年9月)

ガウディはやはり面白い。今回、10年前に来たときよりもバルセロナにおけるガウディ熱がいっそう高まっているような印象を受けた。

カサ ミラやカサ バトリョの前の入場待ちの列の長さ、前もこんなに長かったかしらと思う。あと価格もこんなに高くなかったよなとも思う。

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*グエル邸地下の厩舎

今はほとんどのガウディ関連施設が予約必須の状況である。10年前はすべて飛び込みで入れたが今、サグラダ ファミリアなどは予約せずに行こうものなら問答無用の門前払いとなる。

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*サグラダ ファミリア内部(既に完成)

カサ ヴィセンスが昨年(2017年)から一般公開された。成功した株仲買人ヴィセンス氏の夏用の別荘ということで建てられた個性的極まる住宅である。

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*カサ ヴィセンス

狂人かはたまた天才かというのが当時のガウディ評だったようで、今にして思えば偉大な建築家であり、バルセロナの至宝であり、世界が誇る大才なのだが、当時は理解されなかった場面も多かったもよう。

世界遺産となっているカサ ミラは1910年竣工。完成当時、醜悪な建物とみなされ市民に嫌われた。現在は博物館となっているが、いまも4世帯が入居している。家賃は当初契約に盛り込まれたインフレ無視の家賃据え置き条項により月約15万円。

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*カサ ミラ

現在のグエル公園(これも予約必須)は庭園住宅地としての開発プロジェクトが基となっているが当時、事業としては大失敗に終わっている。天才でいることはけっこう大変なのだ。

実業家であり政治家でもあったエウゼビ グエイ(グエル)は金に糸目をつけず自身の邸宅の設計・建築をガウディに依頼した。グエル公園、コロニア グエル教会、グエル別邸も同氏の依頼による。グエイ氏という理解者・パトロンを得てガウディはその天才を世に問うことができた。グエイ氏は1914年死去、その後ガウディはサグラダ ファミリア建築作業に没頭することになる。

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*グエル邸正門。内から外は見やすく(左)、外からは見えにくい(右)つくり。

アントニ ガウディは1926年、路面電車に轢かれて死んだ。享年七十三歳。そのとき着ていた服はボロというしかないような代物で一時は浮浪者として扱われた。そのせいで治療が遅れ死を早めたともいわれる。

カタルーニャ音楽堂見学のこと

バルセロナ 2018年9月)

カタルーニャ音楽堂を見学。世界遺産である。観覧料金は一人20ユーロ、全てガイド付きツアーである。

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*20世紀初頭に造られたコンサートホール

僕たちのガイドは若い女性で、昨日からガイド始めました!と言われても驚かない初々しさが光っていた。緊張感を持って一所懸命仕事にあたる若者の姿は見ていて気持ちの良いものである。

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*たぶんOJT

テラスにある柱群の装飾がグエル公園のそれを思い起こさせるものだったので、自由観覧の時間に訊いてみた。

この柱に施された装飾は僕にグエル公園を思い起こさせるのだが、この建築を担当したひとにはアントニ ガウディの影響があったりするのだろうか?

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*この文様がガウディっぽい

彼女は目を見開いて一所懸命に僕の質問を聞いてくれた(『パーク グエル』の言葉に激しく頷いてもくれた)のだが、あ、次の解説の時間なのでとばかりに、LINEで例えれば既読スルーというのだろうか完全無視といった感じでそそくさと離れていってしまった。

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*一所懸命に解説してくれる

後で調べてみれば音楽堂の設計者はガウディのライバルであると同時に師匠でもあり、影響を受けたのはむしろガウディの方だった可能性も高い。そんなことも知らないのかと言外に伝えられたのかもしれないが反省はしていない。

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*見たことのない造りのステンドグラス。太陽を表現。