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神殺しの意味

メドゥーサといえば、恐ろしげな風貌の怪物というイメージが強い。数年前、トルコとオーストリアを訪れた際に複数回みた。

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*柱石にされたメドゥーサ(イスタンブル, 地下宮殿, 2015年9月)

 

ギリシア神話のなかでメドゥーサは、ペルセウスに首を斬り落とされ、その血はアテナに献上された。

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ルーベンスの『メドゥーサの頭部』(ウィーン, 美術史博物館, 2015年10月)

 

メドゥーサはそもそも怪物ではない。それどころか、アナトリア半島で崇められていた美貌の女神、主神のひと柱だった。しかもその伝承は、古代ギリシアの神話よりもふるい。

古代ギリシア人は、アナトリアを征服する際に、戦略の一環としてその地の神々を殺したのではないか。神殺しが意図的に行われたのではないか。トルコを訪れた際、そんなことを思った。

ところで今、『現代語 古事記』(竹田恒泰著)https://amzn.to/3bcIL96 を読んでいるのだが、アーノルド・トインビーという歴史学者は「12、13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」といったという。第二次世界大戦後、日本が「連合国の占領統治下にあったとき、古事記日本書紀は学ぶに値しないものとされ、それどころか軍国主義に向かった元凶とされ、さも有害図書であるかのような扱いさえ受けた」という。

この箇所を読んだとき、数年前に訪れたイスタンブルとウィーンで見たメドゥーサの姿を思い出した。民族を滅ぼすあるいは無力化する方策として、神を殺すという手法は今も生きているのかもしれない。