コルドバのカフェでオラオラのこと
(※2018年9月 コルドバ)
(注)写真はコルドバのものですが本文の内容とはあんまり関係ありません。
*コルドバ駅
一日歩き回って後、コルドバの駅で電車を待つ間、駅ナカのカフェで休んだ。けっこう大きな店だったのだが女性店員さんひとりで回している様子である。なかなか注文を聞いてもらえない。
カウンターには皮ベストを羽織りバイクで乗り付けたらしい、いかつい兄ちゃん二人組がヘルメットを片手にジョッキでビールをあおっている(これだけでもかなりワイルドな所作である)。
その横でひとり待っていた僕の顔を、皮ベストの兄ちゃんがねめ回すように見てきた。で、軽く目が合った。するとその兄ちゃん、僕の目を見てオラー!というのである。
僕も負けじとオラー!と返した。
念のため書いておくが、こちらスペインでは軽い挨拶の言葉がオラー(オッラー)なのである。威嚇ではない。初対面の人にも日に何度も使う。英語の Hello に相当するともいわれるが感覚的にそれよりフランクな感じである。
*白壁の続くユダヤ人街
その後、隣に三世代の家族と思しき人々が陣取った。見ていると孫らしい青年がおばあちゃんを甲斐甲斐しく世話しつつ皆で賑やかにお喋りに興じている。おばあちゃんも静かに微笑んでいて良い雰囲気であった。
*「花の小径」からメスキータの塔を望んだところ
聞けばアンダルシアの人々はとても家族を大切にするのだそうで、外部者には過剰に見えるほどの家族愛であり、排他的とすら感じられる場合もままあるのだという。
ある研究者はかつてその姿を「家族以外には信頼感情と道徳的意識を欠くほどの家族主義」と表現し、物議を醸した。アンダルシアは排他的なコネ社会というひともいる。
とはいえ端から見ている分には微笑ましい光景だった。孝の精神とは本質的にこういうものなのかもしれない。
*一日歩き通しでくたくたであった
メスキータでイスラム教とキリスト教の融合を見る
(※2018年9月 コルドバ)
コルドバのメスキータを訪れた。メスキータはモスクの意。8世紀、後ウマイヤ朝の時代に造られた。
*入場チケット売り場の行列。窓口は複数あるので案外さくさく進む。
建造したのはアブド アッラフマーン1世。彼はウマイヤ朝の王族(カリフの一族)の子としてダマスカスに生まれたが、アッバース革命でウマイヤ家の一族が虐殺されるなか、それを逃れてイベリア半島に至り、後ウマイヤ朝を建てた。彼の亡命行は軽く調べただけでも凄絶かつ劇的である。伝記か小説があれば読んでおきたい。誰か書いてくれないか。
*メスキータのなか
11世紀、後ウマイヤ朝はカトリック勢力の圧力を受け、内部崩壊するかたちで滅んだ。その後イベリア半島は群雄割拠の時代を迎える。
*メスキータ内部。列柱の森。
13世紀にカスティージャ王国がコルドバを占領。モスクはカトリック教会堂となった。イスラム教のモスクからキリスト教の聖堂への転換である。イスタンブルのアヤソフィアと逆のパターン。意外といろんなところでこういうことが行われているのかもしれない。宗教戦争に伴う定例行事のようなものといったら怒られるだろうか。その都度多くの血が流されているわけだが。
*メスキータのなかのミフラーブ。この方角にメッカがある。
宗教間の対立が近年強調される場面が増えたような気もするが、イスラム教徒の間ではキリスト教徒もユダヤ教徒も同じ神から教えを受けた啓典の民として敬意を払われてもいる。
*イスラーム装飾そのもの
メスキータには16世紀に大改築が施された。スペイン王カルロス1世の命による。ただ、工事担当者はモスクの造りに感じ入ったようでかなりの部分を従来のまま残している様子である。内部は列柱の森である。イスラーム装飾が美しい。モスクの趣を多く残しつつも、キリスト教の祭壇があちらこちらに設けられている。
*メスキータのなかのキリスト像。
ところでこのカルロス1世、メスキータの大改築(多くの柱を撤去、中心部に巨大な祭壇を設置した)を行って後、こういって嘆いてみせたという。「あなたたちは世界唯一のものを壊し、ありふれたものを据え付けた。美しいカテドラル(大聖堂)は数多くあるが、コルドバのモスクはかつて比類なきものだったのに」
命じた本人が何をいっているのかとは思うが、そう感じるのは生きる時代も信仰も異なる者ゆえなのか。とはいえ、このエピソードはこの王がサイコパスだった可能性を示唆しているようにも思われる。まあ、名を残すような王は程度の差こそあれ皆サイコパシックとみてよいのかもしれないが。
*ステンドグラスを通して射し込む光
ところで、イスラム教圏でモスクを訪れるたびに思うのだが、このつくりは神の世界を表現しようとしてのものなのではないか。空間芸術とでも呼ぶべきわざだと感じる。美しくも荘厳なモスクは好むところである。ひとり旅であれば半日くらいぼーっとして過ごすことだろう。
ところで前日訪れたセビージャのカテドラルも壮大で荘厳なつくりなのだがモスクに比べるとどうしても説教くさく感じてしまう。比較するものでもないのだが。それとも僕が単にアラビア文字を解さないからそう感じるだけなのか。アラビア文字が読めない僕には、コーランの文言が記されてあったとしてもただの美しい文様にしか見えない。
*外に出ればアンダルシアの強烈な日差しが待っている
灼熱の城塞都市コルドバ
(※2018年9月 コルドバ)
コルドバを訪れた。セビージャから高速鉄道AVEで42分。8世紀半ばから後ウマイヤ朝の首都。10世紀の頃の世界最大都市のひとつ。城塞都市とも呼ばれた。街を囲む城壁が今も残る。
後ウマイヤ朝は後継者争いに外交問題が重なり、元首(カリフ)が部下から追放されるという形で11世紀に滅んだ。
※メスキータの外壁
日差しは強く日中の気温は40℃近い。すれ違ったアジア人観光客の顔が真っ赤で、この強い日差しのなか外を歩きすぎでは?と心配したが、鏡を見たら自分も同じく真っ赤で、他人の心配をする前に自分の頭のハエを追い払えみたいなことわざがあったようななかったようなと自戒する。
※グアダルキビル川にかかるローマ橋。対岸にカラオラの塔。
ローマ橋とメスキータ、それにユダヤ人街、これらを合わせ「コルドバの歴史地区」として世界遺産に登録されている。ローマ橋を渡ってカラオラの塔も見ておきたかったのだが、灼熱の陽射しにやられてしまいそうで断念した。
セビージャのカテドラルとコロンブスの影
(※2018年9月 セビージャ)
セビージャのカテドラルを訪れた。世界で三番目に大きな聖堂である。元はモスクだったがレコンキスタの後、大改築というかモスクは破壊され、キリスト教の大聖堂建立となった。
*セビージャのカテドラル
モスクからカテドラルに移り変わったという点では、イスタンブルのアヤソフィアと逆のパターンである。
1401年着工の1519年竣工。百年以上かけて造られた。完成当時、世界最大の聖堂の地位をハギア ソフィアから奪ったといわれる。ただ、そのときハギア ソフィア(アヤソフィア)はオスマン帝国に接収されてモスクへの改築が進められていたはずではあるが。
ヒラルダの塔のみがモスクのミナレットだった当時のまま破壊を免れて残されている。内部を徒歩で登れる。エレベーターはない(なくて良い)。延々と登ることになるので足腰の鍛錬には最適である。
*ヒラルダの塔
また堂内には、見どころのひとつとしてコロンブスの墓がある。そういえばスペインに降り立ってからというもの、ずつとコロンブスの影に付きまとわれているような気がする。
*カテドラルのなかにあるコロンブスの墓
バルセロナではランブラス通りの端、海に面したところにコロンブスの銅像があった。グラナダでは市の中心部にイザベラ女王と一緒の銅像が建てられていて、ここセビージャではカテドラルのなかにきらびやかなコロンブスの墓がある。コロンブスは破格の英雄なのだ。
*女王イザベラとコロンブス(グラナダ)
以前、Wikipedia でコロンブスの項を読んでどん引きしたのだが、ネイティブ アメリカンにどんな仕打ちをしようが結果的にはスペインに莫大な富と大繁栄をもたらす端緒となった仕事を成した人物である。ただ個人的にはやはりどん引きの人物ではある。
それはさておきこのカテドラル、隣接するアルカサル(宮殿)とインディアス古文書館とともに世界遺産に指定されている。なのでアルカサルも訪れたい。なのにアルカサルのオフィシャルサイトで予約しようとしてもはじかれるのだ。結局、十回以上予約を申し込んだのだが全てはじかれた。抽選とかではないはずなのだが何なのか。原因も意味も分からない。
そういえばフラメンコのショーをネットで予約する際にも似たようなトラブルに見舞われた。セビージャはなんとなく良いところなのだが、情報空間での難度が高い。
バルセロナとスリの話
(※2018年9月 バルセロナ)
旅先で日本人の方を見かけても基本的に声をかけたりしないのだが、声をかけられればお話しもする。
僕は日本人とすぐにばれるようで、ヨーロッパの街を歩いているとコニチワなどと声をかけられたりもする。一方、家内の場合はたいていアニョハセヨーである。韓国人と思われているようだ。旅先で韓国人旅行者の方からアー ユー コリアン?と声をかけられているところも何度か見た。
それはともかく、自国語で話しかけられると人は無意識にでも親近感を覚えてしまうものらしい。そして話しかける側はそれを知った上で行っているようで、そういう輩の店に近付けばたいてい高くつくというのは旅先あるあるである。
*カタルーニャ広場
さて、バルセロナの宿にはカタルーニャ広場近くのホテル カサ キャンパーを押さえた。ランブラス通りから路地に入って4ブロック目に位置する。このホテル、廊下を挟んで部屋をふたつ使える。一方の部屋にはベッドとシャワールームがあり、もう一方にはテーブルとソファ、それにハンモックが吊るしてある。こういうコンセプトのホテルは初めてである。
*なかなか快適なハンモック
そのホテルの朝食レストランで、日本人旅行者のご夫婦にお会いした。娘さんがホテルも航空券も手配してくれたのだという。いい話である。お互いバルセロナに着いたばかりであったので、気を付けて楽しみましょうといい別れた。
三日目の朝、レストランでまたお見かけしたので無視するのもあれかなと声をおかけした。なにやら少々どんよりされている。
聞けば昨日、スリに遭ったという。バルセロナ滞在二日目、手持ちのユーロ5万円相当を持っていかれた、高い授業料だったと話してくださった。思い当たるのは地下鉄。現金をそっくり失ったのでホテルに帰るのにも難儀した。電車に乗れば皆が泥棒に見えるとも。気の毒な話である。
このときは僕も知らなかったのだが、バルセロナは凶悪犯罪が少ない半面、スリ被害が多い。その多さは世界トップに君臨するレベルである。有名観光施設も要注意なのだが地下鉄での被害がもっとも多い。美術館のなかも油断は禁物である。
*バルセロナの地下鉄
スリはたいてい複数人がチームを組んでターゲットを狙う。電車内でのスリは手元を隠すのにジャケットを用いることも多い。ジャケットを身に着けた上でさらに別のジャケットで手元を覆うスリもいるらしく、そこまでくればもうかわいいという他ない。
そういえば、ランブラス通りを歩いているとき、何やら大声を張り上げながら走り去る集団を見かけた。スリ集団を誰かが追いかけていたものと思われる。また、ホテル近くのランドリー店で洗濯していたときにも、店の目の前で中年男性のスリが取り押さえられ、警察に突き出されていた。
*奥でへたり込んでいるのがスリのおじさん
なぜそんなにスリが多いのかは不明なのだが、こちらでは一日400ユーロまでの窃盗行為は罰金で済むという。そんな取り締まりの方針に問題があるのかもしれない。そもそもいくら盗んだとかスリ本人に訊いてわかるものなのか。
*にぎわうランブラス通り
その後また、ホテルでそのご夫婦とお話しする機会があったのだが、目にする人が皆スリに見えて疲れるので食事は近くの通りで済ませていると話されていた。ああ、ランブラス通りなら店はいくらでもあるので問題ないですねといったところ、いやランブラス通りから横に入ったホテル前の路地で済ませているのだと。パエージャも食べたが普通だったという。
*ランブラス通りから横に入ったホテル前の路地
ところで、先日会った日本人旅行者はもっと高い授業料を払っていた、財布ごと9万円スられたんですってとも仰っていた。心なしか嬉しそうだったのが何やら印象深い。
僕はバルセロナがけっこう好きなのだが、日本人はいろんな意味で上得意客の様子である。
現代アートがわからない
現代アートがわからない。
マドリードではソフィア王妃芸術センターとティッセン・ボルネミッサ美術館も訪れた。ソフィアにはピカソのゲルニカがある。ミュージアムパスで入れる。ティッセンはパスの対象外。
*ソフィア王妃芸術センター
写実的な絵画はわかる。精緻に写実的でも写真とはちがう。受ける感覚がまるで異なる。この感覚はなんなのか。画家の技量以上の何かが込められているような気がしてならない。
*カタルーニャ出身のマリア・フォルトゥニによる「ロダリスカ(女奴隷)」
いわゆる近代アート・現代アートは今もわからない。ただの落書きにしか見えない。展示してある部屋や額縁の方がよほど立派である。落書きをなぜこうも仰々しく展示していられるのか。これに高い価値を覚える人がいて、さっぱり価値を感じない僕のような人間がいる。ダリはわかる。ルソーも何となくわかる。ピカソもごく一部の作品のみだがわかる。あとはわからない。
もしどこかの善意の人が僕宛に匿名で大判の現代アート作品を送り付けてきたらどうなるだろう?価値が分からない僕は悪質ないたずらだと憤慨し、粗大ごみ一直線となってしまうだろう。それどころか処分費用がもったいないからとのこぎりとカッターで切り刻んで捨ててしまうかもしれない。
*カラヴァッジョは好きである。
写真技術の普及が画家に与えた影響。二度の大戦が人の感性に与えた影響。戦争成金の存在。様々な要因が考えられるが、ひと昔前に比べて人の美的感性が衰えてしまったのではないかといつも考え込んでしまう。
僕が分かっていないだけなのだ。そう自覚した上で、理解しようと努めてきたのだが説明をいくら聞いてもわからない。説明を何度聞いてもわからないということは説明している本人が分かっていない可能性も考慮に入れなければならない。
逆に考えてみる。価値とは主観的なものだ。価値がよくわからないこと自体が価値を持つとしたらどうだろう?
租税回避の手段としてのアート作品、という存在意義もある。客観的価値評価の難しい美術品を高値で買い、画廊などを介して安く売り、譲渡損失を計上、課税所得を削る。複数の者の手を経て結局は元のオーナーのもとに納まる。オークションが開催されたりもするがそれは出来レースに過ぎない。
こう考えれば落書きに異常な高値が付くことも納得できる。現代アートはコンテクストで考え評価すべきなどというわけのわからない理屈よりもずっとシンプルであり腑に落ちるというものである。
実際に取引が成立し高値が付いたからといって、そのことを以て作品に価値があると考えるのは早計なのだ。
日本の地方の美術館を訪れると、わけのわからない現代アート作品が仰々しく展示されていたりする。この作品を買った学芸員は果たして本当にその作品を理解し、価値を認識して、対価を支払ったのだろうか、そしてそのお金はどこから出ているのだろうかと少々苦々しく思ったりもする。
スペイン語の実践とやさしいスペインの人々のこと
(バルセロナ 2018年9月)
タクシーやバル、ホテル、美術館などで片言のスペイン語を話す。スペイン語を話す機会などそうそうないので貴重な機会である。
*ボケリア市場。市場のなかで酒が飲める。
ひどい言い間違いもした。バルセロナ滞在中、市場のバルで飲み食いし、お勘定をと頼むとき本当なら「ラ クェンタ」というべきところを、僕は「ラ クァレンタ(ポル ファボール)」といった。それは「四〇」である。「お勘定をお願いします」でなく「四〇お願いします」だ。意味がわからない。
*海鮮のおつまみは絶品。
でもわかってくれた。その上でスペイン語上手だね、といってくれるのだ。
*このあさりもすごくおいしい。
その後もあちこちで片言のスペイン語を話すたびに、ペルフェクトだ!上手だ!といわれた。あれ、もしかして自分スペイン語の才能ある?スペイン居心地いいし。前世スペイン人だったとか?
*シシトウの素揚げも外せない。
などという考えはただの妄想なのでご注意願いたい。要するに何がいいたいのかというとスペインの人々はやさしいということである。