ウィーン旅行記 - ウィーン国際空港へ
- 帰国の日、初めて雨に降られた。空港へ向かうために、ウィーン市内のホテル(K+Kマリア・テレジア)でタクシーを呼んでもらう。ホテルに現れたのは細身の気の良さそうな、少々気弱そうにも見える若いドライバーだった。
- ドライバーは、ふんっと鼻を鳴らしつつスーツケースをトランクに運び入れてくれた。空港までは約20km。タクシーメーターは回さないんだなーと思いつつ、車は走る。
- 30分後、空港に着いた。いくら?と訊ねるとドライバー君は3秒ほど間を置いて後、「42ユーロ」と答えた。
- ガイドブックには40ユーロ前後が目安と書いてあったので妥当な水準である。チップを加えて46ユーロを手渡した。ドライバー君はお釣りを渡そうと小銭袋を開くので、お釣りは取っておいて、と伝えたところ、「ダンケ!」と満面の笑みで応えた。もしかして42ユーロはチップを加えた金額だったのだろうか?しかし、きちんと送り届けてくれたし、感じも良かったのでまったく問題はない。
ウィーン旅行記 - 国立オペラ座
オペラ座の外観。夜はライトアップされる。
- 国立オペラ座でバレエ「ドン・キホーテ」を観劇。せっかくだからと一階席を予約した。一人92ユーロ。
- バレエは初めて観る。初の観劇がウィーンの国立オペラ座なのだからぜいたくな話ではある。
- この日のためだけにジャケットとネクタイを持参した。
オペラ座内部。いちいち画になる造り。
- 19時開演の演目だったが開場は18時過ぎであった。早く着き過ぎて30分ほど門前で待った。
- バレエをやっているらしき母娘が僕たちの前に並んでいて(花束を手にしているあたり、出演者の関係者だろう)、入場後は娘さんが良い席に座ってお母さんは立ち見席にいた。だから早目に来て並んでいたのだと思う。立ち見席の真ん中最前列に陣取っていた。
三階まで吹き抜け。館内に控えている案内係の人たちが親切であった。
- 館内でひとりの日本人紳士と知り合う。楽友会で二度、オペラ座で一度、すでに観たという。オペラ座のガイドツアーはお薦めだとのこと。作曲家の彫像のあるフロアがすばらしいのだと案内してくれた。ウィーンまでひとり旅し、音楽漬けの日々を送っている初老の人。英語は苦手といっていた。今夜の席は5月に予約したのだとか。観劇してスイーツを食べて、楽しそうだ。良い生き方をしているひとだと思った。
舞台すぐ横の席は舞台が見えなかったりする。なぜそんな造りなのか。
- 上演中は撮影禁止。幕間やカーテンコールのときは撮影可(らしい)。上演時間も終わりが近くなった頃、左前方の席の客がスマホを掲げて舞台を撮影している。何度もそうやって撮影している。マナー違反であろうし、後ろの観客はたまったものではなかろうと思う。おそらく日本人ではないだろうがアジア人ではなかろうか。同じアジア人として恥ずかしい、と思ったのだが、よく見れば欧米人の中年女性であった。アジアの同胞をわずかなりとも疑ってしまって申し訳ない。
幕間にワインが飲める。高くはない。
- 21時45分終演。タクシーを捕まえるべきかと悩んだが、他の観客たちの流れに乗って、歩いて帰った。
- 手を引かれた小さな女の子がバレリーナをまねてジャンプしつつ歩いていて可愛かった。
カーテンコール(というのだと思う)
- ホテルまで約20分の道のり。人通りは多くはない。けれど女性がひとりジョギングしていたり、危険はまったく感じられなかった(薄暗い道は避けたが)。ウィーンは治安の良い街と聞いていたがその通りだと思った。
ウィーン旅行記 - メドゥーサに二度会う
- ウィーンの美術史博物館には、ルーベンスの画が多かった。ハプスブルク家の当主たちはルーベンスを好んだもようである。なかでも「メドゥーサの頭部」が毒々しくてリアルで、とても良かった。家に飾るのは不向きだろうけれど、体の芯に響いて来るような迫力を感じた。これが本物か。
- 神話によればメドゥーサは美しい娘だったが、嫉妬に駆られた神アテナの呪いを受け、毒蛇の髪を持つ忌まわしい姿に変えられた。その視線には見た者を石に変える魔力を宿すようになり、最後は首を刎ねられ殺された。
- そういえば、地中海沿岸の人々は、ひとの悪意ある視線を畏れてナザール・ボンジュウをつくった。
- 旅先で二度メドゥーサに出逢った。なにか意味があるのかしらと、少しばかり考えさせられた。