旅する理由と世界を支配した人々のこと
(※2018年10月 帰路 カタールのドーハにて)
旅をする理由について
ジム ロジャーズは、投資で成功する秘訣はと問われて歴史を学べといった。世界をありのままに理解するように努めよと。だから僕は旅をする。
*バルセロナ港(2018年9月)
旅は頭でするものだと思う。
旅は準備するところから始まっており、むしろ準備しているときが実は最も重要な旅の時間であるといえ、そして帰国したからといって終わるものでもない。
その地の歴史、地理、言語、思考の様式。実際に訪れて見て初めてわかることがある。というかそういうことばかりである。
*サグラダ ファミリアとバルセロナの空(2018年9月)
実際に訪ねてみればそこは想像を超えた未知の国である。自分でも驚くくらいに好奇心が刺激される。旅先でその地のものを食べ、そこに住み働いている人と話し、その地の誇りとするものを見聞きする。どこまでも深い世界がそこにはある。
今回はスペインを訪れた。滞在したのはバルセロナとグラナダ、セビージャ、マドリードである。コルドバとトレドにも足を伸ばした。現地22泊の旅程である。さすがに日本が(正確には日本の食が、特にラーメン二郎が)恋しくなった。今カタールのドーハでこれを書いている(※) 。
※この記事は、2018年10月5日配信の楽しい投資ニュースレターを基に加筆したものです。
*ハマド国際空港(ドーハ 2018年10月)
都市が発展する条件について
それぞれの都市には特有の色があり、同じ国だからといって同質性を保っているかというとそうではない。むしろ国家の成立が後に来るのが普通であって、同じ国だからと同質性を求める方が不自然な歪みをもたらす。国家とは案外、不自然な存在であり概念であるといえる。
このことは今回スペインを訪れて強く感じたことでもある。カタルーニャ独立運動に現れるスペイン中央政府への反発は根が深く、フランコ政権時代の弾圧もそうだが同地の人々の怨嗟の思いの根はさらに古い。
*カタルーニャ州旗がいたるところに掲げられている(バルセロナ 2018年9月)
同じ国でも豊かな地域と貧しい地域がある。一定規模以上に発展する都市には特長というか条件があって、その第一が外部者に対する寛容さといえそうだ。インフラの整備、アクセスのしやすさも大事だがどうやらそれは二の次である。
*グラナダの街路・カテドラル沿い
その地を統治する者の考え方、方針が決定的に重要であって、それによって外からどのような人々が集まってくるかが決まる。
大切なのは寛容な政策を掲げる統治者、商売・金儲けのしやすさ、強い軍事力、治安維持能力、統率力。統治者が優しく善良なだけでは繁栄を維持することはできない。住みやすさを維持するためには統治の厳しさも必要といえる。
*オラニエ公ウィレム "オランダ独立の父"(ティッセン=ボルネミッサ美術館, マドリード 2018年9月)
価値を生み出すのは人であり、資源の有無は(あるに越したことはないのだが)二の次である。優れた人々の集まる都市が発展を遂げる。
さらにいえば外部要因も結構大事で、居住に困難を覚えた人々が新天地を求めるタイミングで外国人にも寛容だった都市に多くの人々が一挙に集まった。迫害を受けた人々が温かく受け入れてくれる地を求めて移動する。このことは昨年アムステルダムを訪れたときに強く感じたことでもある。
*アムステルダムの運河沿い(2017年6月)
多様な集団のなかに生じる問題とその解決策について
新たに人が集まれば軋轢も生じようがそれは当然の摩擦である。仕事でもなんでもそうなのだが多くの場合はコミュニケーションが鍵である。思うに起きる問題は9割方コミュニケーションの問題であって、コミュニケーションの不足が誤解や疑心暗鬼を招き、それがこじれて大きな問題に発展もする。
*3年前、難民受け入れを巡ってのデモを見る(ウィーン 2015年9月)
個人の間では距離感も鍵である。適切な距離を置くこと。異質な考え方・異質な行動様式の人々が身近にいたとしても、上手に距離を置いて接することで大抵のことは克服できるように感じる。やたらと関心を待てばいいというものでもない。健全な無関心というべき態度もある。
他者との関わりのなかでやむを得ず戦わねばならないときも確かにあるが、そういうときというのは案外少ない。
*イスタンブルの『ブルーモスク』スルタン アフメット ジャーミィ(2015年9月)
排他的な政策がもたらす結果について
ときに地域の同質性にこだわり、異質な人々を排斥する流れが生まれるときがある。自身に似た人々と暮らすのは楽かもしれないが、そのときから都市・国家は衰退への道を歩むことになるようだ。とはマドリードのプラド美術館でユダヤ教徒追放政策に憤慨するユダヤ人の姿を描いた画を見たときに感じたことである。
*プラド美術館(外壁修復工事中)(マドリード 2018年9月)
またスペイン ハプスブルク王朝の最盛期に君臨したフェリペ2世(肖像画がプラドに複数ある)は強烈なカトリック信徒であり、異教徒弾圧の方針を進めたことにより内外の反発・衝突を招き、国力を消耗した。とはいえ優れた実務能力により戦争にも勝ち、彼の統治下、帝国は最大領土を手に入れた。ただし彼の死後、国力は衰え続け三代を経て後、帝国は滅びた。
*フェリペ2世(プラド美術館, マドリード *Photo: public domain)
世界を支配したハプスブルク家について
世界史上、日の沈まぬ国となったのはハプスブルク家のスペイン帝国と、後のイギリス帝国のふたつのみである。
*ハプスブルク帝国の「女帝」マリア テレジア(ウィーン 2015年10月)
ハプスブルク家は現在のスイス発祥の小貴族。「争いは他のものに任せよ、幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」と揶揄されるくらいに争いを避け、政略結婚を重ねた。その結果、血みどろのヨーロッパを支配、最後は世界帝国を築き上げた。頭角をあらわした家長ルドルフ1世から280年後のカール5世の代には日の没することなき帝国を手中に収めている。世界を手に入れるために必要な時間とはその程度のものだったともいえる(※スペイン ハプスブルク家はオーストリア拠点のハプスブルク家当主より相続)。
*カール5世が破壊に近い大改築を施したメスキータ(コルドバ 2018年9月)
力の分散を防ぐためだったのだろう、ハプスブルクの血を保ちつつ結婚政策を極限まで進めた結果、近親婚をくり返さざるを得ない状況となり、生まれる子は病弱で短命、最後の王は精神疾患を抱えたまま5歳で死去、王朝は途絶えた。スペイン ハプスブルクの世界帝国は2百年保たなかった。
*スペイン・ハプスブルク朝断絶後のスペイン王・カルロス3世像(マドリード, マヨール広場 2018年9月)
現代の日の沈まぬ国について
ところで現在、アメリカはその領土面で一日20時間の「日の沈まぬ時」を確保しており「ほぼ日の沈まぬ国」といえる。実質的な属国(どことはいわないが)を版図に入れれば史上三番目の日の沈まぬ国といっていいのではないか。しかも血の純潔にこだわってもいない。産業育成能力、経済規模、知的人材輩出の実績も頭抜けている。
*6年前に見物したホワイトハウス(ワシントン D.C. 2012年9月)
ウォーレン バフェットはアメリカの黄金時代はこれから始まるという見方を今も捨てていない。トランプ大統領の誕生により摩擦と混乱の種は増えているものの任期は4年でひとまず終わる。
ジム ロジャーズは今世紀を中国の時代というが、前世紀から続くアメリカの時代はまだ終わりが見えない。
*そういえばトランプタワーの前を通った(ニューヨーク 2012年9月)
アメリカの自浄作用は侮れないと僕は思っているのだが、もしもアメリカ ファーストなる方針を標榜し続け、外部者に対する不寛容な政策を継続するようであれば(トランプ再選となればそれは象徴的な出来事といえる)、その繁栄はピークを過ぎたと見て良いのかもしれない。
追記 2020.10.4
トランプ大統領について追記した。僕はトランプ大統領に対する評価を大きく変えた。