アントニ ガウディのこと
(バルセロナ 2018年9月)
ガウディはやはり面白い。今回、10年前に来たときよりもバルセロナにおけるガウディ熱がいっそう高まっているような印象を受けた。
カサ ミラやカサ バトリョの前の入場待ちの列の長さ、前もこんなに長かったかしらと思う。あと価格もこんなに高くなかったよなとも思う。
*グエル邸地下の厩舎
今はほとんどのガウディ関連施設が予約必須の状況である。10年前はすべて飛び込みで入れたが今、サグラダ ファミリアなどは予約せずに行こうものなら問答無用の門前払いとなる。
*サグラダ ファミリア内部(既に完成)
カサ ヴィセンスが昨年(2017年)から一般公開された。成功した株仲買人ヴィセンス氏の夏用の別荘ということで建てられた個性的極まる住宅である。
*カサ ヴィセンス
狂人かはたまた天才かというのが当時のガウディ評だったようで、今にして思えば偉大な建築家であり、バルセロナの至宝であり、世界が誇る大才なのだが、当時は理解されなかった場面も多かったもよう。
世界遺産となっているカサ ミラは1910年竣工。完成当時、醜悪な建物とみなされ市民に嫌われた。現在は博物館となっているが、いまも4世帯が入居している。家賃は当初契約に盛り込まれたインフレ無視の家賃据え置き条項により月約15万円。
*カサ ミラ
現在のグエル公園(これも予約必須)は庭園住宅地としての開発プロジェクトが基となっているが当時、事業としては大失敗に終わっている。天才でいることはけっこう大変なのだ。
実業家であり政治家でもあったエウゼビ グエイ(グエル)は金に糸目をつけず自身の邸宅の設計・建築をガウディに依頼した。グエル公園、コロニア グエル教会、グエル別邸も同氏の依頼による。グエイ氏という理解者・パトロンを得てガウディはその天才を世に問うことができた。グエイ氏は1914年死去、その後ガウディはサグラダ ファミリア建築作業に没頭することになる。
*グエル邸正門。内から外は見やすく(左)、外からは見えにくい(右)つくり。
アントニ ガウディは1926年、路面電車に轢かれて死んだ。享年七十三歳。そのとき着ていた服はボロというしかないような代物で一時は浮浪者として扱われた。そのせいで治療が遅れ死を早めたともいわれる。