ことばがが旅をつくること
(※ドーハ・バルセロナ間移動。空路)
ドーハからバルセロナへ向かう。ふたたび機上の人となる。
酒ばかり飲んでいるようで控えていたのだが、どうにも我慢ならずワインを頼む。ワインリストからソーヴィニヨン ブラン マックス レゼルヴァ2016 なるものを頼んだ。CAの感じのいい青年は、ナッツもお持ちしましょうか?といってくれたので是非にと答えた。
*ソーヴィニヨン
ところで、旅先で現地の言葉を知っているのといないのとでは旅の質、というか楽しさがまるで異なってくる。現地の人の対応も明らかに変わる。
なのでスペイン語を手探りで調べ始めたのだが感覚的になんだか遠い。ドイツ語より遠いなこれ、と思う。ワインは非常にうまいものである。このとき二杯目。
*すぐに使えるスペイン語
トロイア遺跡を発掘したシュリーマンという考古学者がいる。彼は自身のビジネスから得た資金を以て遺跡の発掘資金に充てた。今でいう商社マンだった彼は語学の天才とも呼ばれ、15ヵ国語を自在に操ったという。
彼の外国語習得法はひたすら原書を音読するというもの。加えて作文。対応する訳書で意味を把握しながら、とにかく原書に当たる。辞書は引かない、文法書も開かない。音読するといってもひとりでは飽きてしまうので若く賃金の安いユダヤ人を雇った。その仕事内容はシュリーマンの前に座り音読を聴くことである。誰かがいればサボれない。これで外国語を短期間でものにした。この方法は彼の著書「古代への情熱」に詳述されている。
*先生の本
シュリーマン先生に敬意を払いつつ、簡単なスペイン語会話をひとりぼそぼそ音読する。ごく簡単な会話例くらいは丸暗記しておきたい。最優先のシチュエーションとして酒場でのやり取り、会話文を丸暗記した。
さて、これから向かうバルセロナはカタルーニャ州に属しており、その地の土着言語はカタルーニャ語である。フランコ独裁政権下で弾圧を受け、スペインでのカタルーニャ語の使用は禁じられていた。フランコの死後、カタルーニャ語使用が認められるようになったがカタルーニャの人々は今もこの独裁者の名を口にするのも忌み嫌うという話も聞いた。
*カタルーニャ広場
せっかくバルセロナを訪れるのだ。カタルーニャ語も挨拶くらいできるようになっておきたい。こんにちははいわゆるスペイン語であるカスティーリャ語と同じでオラ!だが please に相当するのは si us plau とフランス語に近くなる。地理的にカタルーニャ州はカスティーリャ州とフランスの間に位置する。なおアイラブユーは t’estimo である。ワインも進む。三杯目を頼んだ。
*カタルーニャ語の参考書は稀少。
やがて見えてきたのはイラク、バグダッド上空からの風景である。爆弾テロの頻発する都市という先入観があって申し訳ないのだが貴重な景色を眺めているという気分に毎回なる。蛇行して流れているのはティグリス河だと思う。
*たぶんティグリス河
メソポタミア文明発祥の地の上空で古代に想いを馳せながら、アフタヌーンティーをいただく。ドーハ時間では午前だが日本時間では午後である。好きなときに用意してくれるのだ。
この日は天気にも恵まれ飛行機の窓から外が良く見えた。日中のフライトは楽しいなと思う。ワインもおいしい。ところで黒海上空からイスタンブル方向を眺めていたとき何やら奇妙な飛行物体を目にしたのだが、庄司さん大丈夫ですかと心配されるのもいやなので詳しくは書かない。