楽しい投資研究所の旅日記

楽しい投資研究所 www.1toushi.com からの出張Blogです。

チップという難解な習慣について

(2018年9月 バルセロナ, グラナダ, セビージャ, コルドバ, マドリード, トレド)

こちらスペインでも、タクシーやバルでチップを払う。アメリカのようにチップが強要されるような社会ではなく、何か特別なことをしてもらった時などに1~2ユーロを支払うくらいで良いと聞いた。または端数のお釣りを残してくるくらいで良いのだとも。むしろ払い過ぎに気を付けろと持参したガイドブックには書いてある。

f:id:shojig:20181128004302j:plain

バルセロナ、カサ ミラ前を走るタクシー

例えばタクシーで9.6ユーロと提示されて10ユーロ紙幣を渡し、お釣りは取っておいて(このスペイン語は覚えた)というもわずか40セント(約52円)である。こんなんでいいのかとむしろこちらが申し訳なく感じたりもするのだが、ドライバーは満面の笑みを浮かべてグラシアス!といってくれる。

f:id:shojig:20181128004535j:plain

マドリード、美術館通り(Paseo del arte)を走るタクシー

思うにチップとは、あなたのサービスに満足したという感謝の思いを伝えるのが真の目的であって、金額の多寡はさして問題ではないのではないか。海外を訪れるようになってからずっとチップは難しい難しいと苦手意識を持ち続けてきたが、そう考えれば何となく腑に落ちるものがある。

f:id:shojig:20181128004700j:plain

*バルで大人気のサングリア

もっとも国によって捉え方は異なり、それ以上に人によっても異なるのかもしれないが。チップの習慣とは日本で生まれ育った僕にとって確かに異質な文化ではある。

f:id:shojig:20181128004811j:plain

*このグラッパがうまかった

そういえば以前、アメリカ辺りをふらふら巡って帰国した直後、携帯のイヤホンマイクが壊れた。

たしか池袋のビックカメラヨドバシカメラだったと記憶しているのだが、そのとき店員さんは「この機種にはこれとこれが合います。こちらは合いません。いくつか試してみます?」と商品パッケージを開けて複数種類試させてくれて、そのなかから気に入ったものを選ばせてくれたのだ。

これに感動した僕は、当然チップを払うべきである、感謝の想いを伝える義務があると強く感じ、どうもありがとう、これをはチップですと500円玉を一枚渡した。そのときの彼の困惑した顔が今も忘れられない。

f:id:shojig:20181128004920j:plain

*チップはTPOをわきまえて

 

アルハンブラ宮殿のこと

(※2018年9月 グラナダ

グラナダアルハンブラ宮殿を訪れた。

ナスル朝グラナダ王国時代の遺跡。丘の上というか山上の城砦である。実際に足を踏み入れてみればそこはちょっとした街のようでもある。

f:id:shojig:20181123010505j:plain

*山の上の城塞

1492年カスティージャ王国がグラナダを陥落させたことを以って8百年近く続いたレコンキスタは完了、キリスト教勢力はイベリア半島からイスラーム教勢力を地中海に追い落とした。

アルハンブラにはグラナダ市中心部から歩いて行ける(バスでも行ける)が、そこへ至る道は急坂でちょっとした登山の趣がある。グラナダ滞在中、アルハンブラ宮殿は2度訪れたが、いずれも徒歩で赴いた。さいわい天気も良かったし、緑のトンネルを歩いているようで心地良くもあった。

f:id:shojig:20181123010631j:plain

*急坂

坂の途中に「アルハンブラ物語」を著したアメリカ人ワシントン アーヴィングの像がある。19世紀に書かれたこの書物が世に出る前、アルハンブラ宮殿はただの廃墟としてほとんど顧みられることがなかった。この「物語」がベストセラーとなった結果、アルハンブラは再び注目を集め、いまやスペイン有数の世界遺産である。マーケティングが決定的に重要なのだということを教えてくれるいい話である。

f:id:shojig:20181123010802j:plain

*アーヴィング像

山頂、アルハンブラの門前に水場がある。この丘の上(というか山上)の水道施設は13世紀頃ナスル朝ムハンマド2世の統治下、半世紀以上かけて造られた。

f:id:shojig:20181124001555j:plain

*門前の水場。装飾はグラナダ陥落後のものでしょう

ざくろの彫刻が目を引く。アルハンブラだけでなく、グラナダ市内のあちらこちらで目にする。グラナダスペイン語ざくろの意。街並みの様子が割れたざくろに似ていたからこの名が付いたという話が伝えられている。

f:id:shojig:20181123010946j:plain

ざくろの彫刻(水場の右から3番目)

また堅固な城塞都市グラナダの陥落を象徴するものとしてキリスト教徒に多く造り置かれたともいわれる。ただ俗説は多い。

 f:id:shojig:20181123011604j:plain

アルハンブラから見たグラナダの街並み

アルハンブラは、赤い城砦という意味のアラビア語、アル ハムラーが語源といわれる。たしかにこの周辺の土壌は赤みがかっている。これについても諸説がある。

f:id:shojig:20181123011024j:plain

*裁きの門から宮殿内に入る。この門には何やらまじないが施されているという

アルハンブラ宮殿見学にも予約は必須である。時間を指定して訪れる。指定時刻前には入り口前に長い行列ができる。予約なしでも興味深く見て回れるがやはり内部は見るべきである。 

f:id:shojig:20181123213605j:plain

アルハンブラの猫

ちなみにアルハンブラ宮殿敷地内には国営の宿パラドールがある。実はここに泊まりたかったのだがかなりの人気で予約が取れなかった。グラナダを訪れると決めたのなら何はさておいてもパラドールの予約から始めるべきかもしれない。

f:id:shojig:20181123213724j:plain

*パラドール サン フランシスコ

イスラーム建築様式の石畳が涼しげである。キリスト教圏の石畳とは風合いが異なる。

f:id:shojig:20181123230332j:plain

*涼しげな石畳

アルハンブラ宮殿のなかに「カルロス5世宮殿」なる場所がある。円形の中庭っぽいところでくつろぐ。

f:id:shojig:20181123224950j:plain

*カルロス5世宮殿。再征服者による増築箇所

建築様式が他と異なりおやと思うが、なるほどここはナスル朝が滅んで三〇年の後、神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世(カール5世)によって増築された箇所だった。この人物、コルドバのメスキータを大改築し、その後部下を責めるように嘆いたスペイン王カルロス1世と同一人物である。

日差しは強いのだが風通しが良く涼しい。丸く縁取られた青空がきれいである。グラナダは酷暑の地だがアルハンブラ宮殿は特に涼しい場所を選んで建てられた。

f:id:shojig:20181123011708j:plain

*ライオンの中庭

f:id:shojig:20181123011330j:plain

*ライオン像近影

 壁に施された細密で精緻な幾何文様アラベスクが凄い。見ているだけで気が遠くなる。3Dプリンタが当時既にあったのではないかと考えねば理性が追いつかないレベルである。

f:id:shojig:20181123011229j:plain

*この写真を拡大して見てほしい

宮殿内は広い。想像以上に広い。本当にちょっとした街である。敷地内に公衆トイレはあるが数は少ない。やっと見つけたお手洗いは清掃中で男性陣が列を成していた。

f:id:shojig:20181123230909j:plain

*この掃除が長い。男の子は女性用お手洗いで用を足せるから良い

アルハンブラ宮殿ナスル朝歴代君主の手により約百年かけて造られた。その敷地は広大である。東に位置するヘネラリフェも必見の美しい離宮なのだがこれがまた遠いのだ。

f:id:shojig:20181123011447j:plain

*ヘネラリフェからナスル宮を望む。この辺りすべてがアルハンブラである

この広さを覚悟して訪れた方が良い。暑さ対策も大事である。

午後も遅くなった頃、アルハンブラを後にして下山、ホテル近くのバル(ラ リヴィエラ)で遅い昼食をとった。

f:id:shojig:20181123232509j:plain

*毎日訪れた行きつけのバル

日が暮れるとアルハンブラはライトアップされて夜空を背景に浮かび上がるような美しさを見せる。ダーロ川沿いの道を、夜のアルハンブラを見上げながら散歩した。警戒しながら歩きはしたが、特段、身の危険を感じる場面はなかった。

f:id:shojig:20181123224717j:plain

*ライトアップされたアルハンブラ

アンダルシア州イスラーム教圏の人々がイベリア半島を指して呼んだアル=アンダルスを語源とする。キリスト教勢力による再征服の後、アラビア語の使用が禁じられた時代もあったが、スペイン語のなかにアラビア語を源とすることばは多く、当時の名残りが今も息づく。有名どころではアルコールもアラビア語起源である。

イスラームといえば近年、中東の過激な集団のイメージが強いかもしれないが、実際にイスラーム教圏の国々を訪れてみれば、穏やかな雰囲気のなか安心感を覚える場面が多い。イスラーム建築・装飾も素敵でその美しさ、洗練の度合には思わず息をのむ。

f:id:shojig:20181124001035j:plain

アルハンブラの二姉妹の間、天井の鍾乳石飾り

おかしな人間はどの世界にもいる。偏った情報に触れ続ければ偏ったイメージを植え付けられ、偏見を生んでしまう。そうならぬよう気を付けながらこれからも旅を続けていきたい。

f:id:shojig:20181124000719j:plain

アルハンブラの壁にあったアラベスク文様

セビージャでもらったワインとマドリードの悲劇

(※2018年9~10月 セビージャ, マドリード

セビージャに滞在したのは5日間。宿は ホテル ポサダ デル ルセロ。朝食会場のレストランにはCava(スパークリング ワイン)が置いてある。朝から呑めるのだ。

f:id:shojig:20181117094747j:plain

*朝Cava

 

<2018/09/25 09:15>

最終日の朝、理由はよく分からないのだがホテルの朝食レストランでお姉さん達からワイン(Cava)をもらった。

毎朝サーブしてくれていたふたりが「ミスターショウジ!」とやって来てボトルをくれた。手書きのメッセージカード付きである。

f:id:shojig:20181115005322j:plain

*びっくりした

 

<同日 09:25>

先に部屋に戻っていた家内に、レストランのお姉さん達にワインをもらったと伝えた。しばらくネットを見ているなと思ったら「そのCava高くないよ喜んじゃってやっす」というあたり、おっ可愛いなと少々思った。

 

<同日 09:29>

ちょっと浮かれてFacebookで自慢した。

f:id:shojig:20181117010504p:plain

*自慢

 

<同日 09:42>

すると投稿直後、ホテルの公式アカウントからコメントが来た。

f:id:shojig:20181117010539p:plain

*あらゆる言語を即翻訳できる時代である

 

 <同日 09:43>

あのボトル、もしかして彼女たちからのプライベートな贈り物だったりしたらどうしよう?彼女たち、支配人から怒られたりしやしないだろうか...とコンマ2秒ほど悩んだ。

f:id:shojig:20181117104243j:plain

*そんなわけない

 

ところで再びセビージャに来るとして、僕はどのホテルを選ぶだろう。本音は迷わず同じこのホテルである。すなわちこれはリピーターを確実に生む手法といえる。今後ホテル関係者の方へコンサルする機会があったらこの営業戦術を伝授したい。

f:id:shojig:20181117094910j:plain

*男とは所詮その程度である(洞察)

 

<その八日後 2018/10/3 出国日の朝(マドリード)06:55>

セビージャのホテルでもらったワイン、良い思い出の品だと大切に包んでスーツケースにしまった。日本で飲もう。

マドリード バラハス空港のチェックインカウンターでスーツケースを預ける際、ぶん投げられて割れても困るな、機内に持ち込むか、と手提げカバンに詰め直した。

そして進んだセキュリティチェック、これは持ち込み不可だと取り上げられた。そりゃそうだ液体である。

疲れがたまっているぞと自覚したが、ちょっとした悲劇である。

f:id:shojig:20181117095404j:plain

*くやしくてビールを呑んだ

 

フラメンコに魅了されたという話

フラメンコの存在が文献で確認できるのは19世紀半ば以降のこと。その原型が現れたのは早くとも18世紀末頃といわれる。案外新しい。スペイン、アンダルシア地方が本場といわれる。

f:id:shojig:20181114001717p:plain

*アンダルシアの大道芸はフラメンコが王道(グラナダ

セビージャで滞在したホテルの近くにフラメンコ ミュージアム(Museo del Baile Flamenco)なる施設があった。フラメンコのショーを毎晩開催している。評判はとても良い。これは観たい。ただし、当日券はまず手に入らない様子。

さっそくミュージアムのオフィシャル サイトで予約した。すぐに確認のメールが届いたのだが、請求額以外ほとんど空白のメールであったのが多少気になる。 

f:id:shojig:20181113091549p:plain

*届いた予約確認メールがほぼ空白で不安になる。

まあ大丈夫だろうとは思ったのだが、家内がなんだか気になるというので翌日、直接訪れて確認することにした。

ミュージアムはホテルから歩いて10分のところにある。窓口の青年に訊ねてみたところ、全然予約できていなかった。昨晩予約したのだがと伝えると、ああそうですかわかりましたと予約者リストにその場で書き足してくれた。よくあることなのか。

開演は17時。すべて自由席。早い者勝ちである。僕たちは30分前に会場入りしたのだが席は既に三分の二以上埋まっていた。早めの来場が吉である。

f:id:shojig:20181114000241j:plain

*上演中は撮影禁止

バルセロナグラナダのタブラオでもフラメンコを観てきた。それはそれで良かったのだが、ここのは印象がまるで違った。上手というより凄いという他ない。これが本物か。

フラメンコを習いたいと思ってしまうくらいに魅惑的だった。ダンサーの手足がすぱーんと張るように伸びる。ここの人たちは武術とかやらせても強いんじゃないかと思われる。ステップは震脚のようでもある。

観客席は演壇のすぐそば。最前列の観客は翻る衣装の裾で頬を張られる。ダンサーの汗がほとばしり飛んで来る(絶対わざと飛ばしている)。

しかしここで観ることができて本当に良かった。予約は必須。予約確認メールに数量・時間の情報がないときには予約確認も必須である。

f:id:shojig:20181114001758p:plain

*毎日街のどこかでフラメンコダンサーを見る(セビージャ)

 

 

グラナダからセビージャへ 都市間移動の覚書

(※2018年9月 グラナダからセビージャへの移動日のこと)

グラナダからセビージャまでの鉄道のチケットは買ってある。

f:id:shojig:20181111231640j:plain

グラナダ

移動日の朝、グラナダ駅で電車を待った。さて、どのプラットフォームで待てば良いのだろう?駅員さんに訊いた。すると、ここからアンテキエラ駅までバスに乗るんだ。ここに書いてあるだろう?という。

f:id:shojig:20190309004422j:plain

*たしかに書いてある。

たしかにチケットにはそう書いてあるようだ。このスペイン語はわからない(バスという単語だけ読める)。しかしこちらは鉄道の切符を買ったはずなのだが。線路工事でもしているのだろうか?

f:id:shojig:20181111232306j:plain

*バス移動中。どこまでもオリーブ畑がひろがる。

そういえば以前ベルリンでも、電車に乗っていたはずがいつの間にかバスに誘導されて乗っているというようなことがしばしばあった。世界とはそういうものか。

f:id:shojig:20181111232422j:plain

*バスに揺られること1時間半、アンテキエラ駅に着いた。ここから高速鉄道に乗り換える。

セビージャ サンタ フスタ駅に着いたのは15時前。グラナダから3時間20分。外は40℃近い。

駅からホテルへはタクシーを利用したのだが感覚的にグラナダより高いなと感じた。その感覚はどうやら正しくて、悪意のドライバーに幾分上乗せされて請求されたようだ。後日乗った帰路のタクシー運賃に比べて明らかに高い。

しかしそのことを着いたばかりの旅行者が把握するのは困難である。言われるがままに払い、お釣りは取っておいてと10ユーロ紙幣を渡したところ、そのドライバーは上目遣いにグラシアスといい、握手を求めてきた。タクシーのドライバーに握手を求められたのはこのときだけである。良心の呵責に苛まれるがいい。

それはさておき今回押さえた宿は、ホテル ポサダ デル ルセロ。セビージャの最盛期(16世紀)建造の建物で国の文化遺産にも指定されている。

f:id:shojig:20181111232546j:plain

イスラーム建築の香り漂うホテル。

セビージャは一見、内陸部に位置するがグアダルキビル川沿いにあることから大西洋までの船舶交通が可能になっている。その地の利を活かし、この街は港湾都市として栄えた。

特に当時、新大陸アメリカとの貿易独占により、16世紀にはスペインの中心都市となるまでに繁栄した。しかし17世紀半ば、その人口が史上最大規模に達したタイミングでペストが大流行し、人口減により中心都市としての地位を失っていった。

f:id:shojig:20181111232643j:plain

*ヒラルダの塔のてっぺんから見たセビージャの街並み。

 

コルドバのカフェでオラオラのこと

(※2018年9月 コルドバ

(注)写真はコルドバのものですが本文の内容とはあんまり関係ありません。

f:id:shojig:20181110232518j:plain

コルドバ

一日歩き回って後、コルドバの駅で電車を待つ間、駅ナカのカフェで休んだ。けっこう大きな店だったのだが女性店員さんひとりで回している様子である。なかなか注文を聞いてもらえない。

カウンターには皮ベストを羽織りバイクで乗り付けたらしい、いかつい兄ちゃん二人組がヘルメットを片手にジョッキでビールをあおっている(これだけでもかなりワイルドな所作である)。

その横でひとり待っていた僕の顔を、皮ベストの兄ちゃんがねめ回すように見てきた。で、軽く目が合った。するとその兄ちゃん、僕の目を見てオラー!というのである。

僕も負けじとオラー!と返した。

念のため書いておくが、こちらスペインでは軽い挨拶の言葉がオラー(オッラー)なのである。威嚇ではない。初対面の人にも日に何度も使う。英語の Hello に相当するともいわれるが感覚的にそれよりフランクな感じである。

f:id:shojig:20181110232714j:plain

*白壁の続くユダヤ人街

その後、隣に三世代の家族と思しき人々が陣取った。見ていると孫らしい青年がおばあちゃんを甲斐甲斐しく世話しつつ皆で賑やかにお喋りに興じている。おばあちゃんも静かに微笑んでいて良い雰囲気であった。

f:id:shojig:20181110232746j:plain

*「花の小径」からメスキータの塔を望んだところ

 聞けばアンダルシアの人々はとても家族を大切にするのだそうで、外部者には過剰に見えるほどの家族愛であり、排他的とすら感じられる場合もままあるのだという。

ある研究者はかつてその姿を「家族以外には信頼感情と道徳的意識を欠くほどの家族主義」と表現し、物議を醸した。アンダルシアは排他的なコネ社会というひともいる。

f:id:shojig:20181110233426j:plain

コルドバ出身セネカ先生

とはいえ端から見ている分には微笑ましい光景だった。孝の精神とは本質的にこういうものなのかもしれない。

f:id:shojig:20181110233225j:plain

*一日歩き通しでくたくたであった

メスキータでイスラム教とキリスト教の融合を見る

(※2018年9月 コルドバ

コルドバのメスキータを訪れた。メスキータはモスクの意。8世紀、後ウマイヤ朝の時代に造られた。

f:id:shojig:20181110171100j:plain

*入場チケット売り場の行列。窓口は複数あるので案外さくさく進む。

建造したのはアブド アッラフマーン1世。彼はウマイヤ朝の王族(カリフの一族)の子としてダマスカスに生まれたが、アッバース革命でウマイヤ家の一族が虐殺されるなか、それを逃れてイベリア半島に至り、後ウマイヤ朝を建てた。彼の亡命行は軽く調べただけでも凄絶かつ劇的である。伝記か小説があれば読んでおきたい。誰か書いてくれないか。

f:id:shojig:20181110171149j:plain

*メスキータのなか

11世紀、後ウマイヤ朝カトリック勢力の圧力を受け、内部崩壊するかたちで滅んだ。その後イベリア半島は群雄割拠の時代を迎える。

f:id:shojig:20181110171327j:plain

*メスキータ内部。列柱の森。

13世紀にカスティージャ王国がコルドバを占領。モスクはカトリック教会堂となった。イスラム教のモスクからキリスト教の聖堂への転換である。イスタンブルアヤソフィアと逆のパターン。意外といろんなところでこういうことが行われているのかもしれない。宗教戦争に伴う定例行事のようなものといったら怒られるだろうか。その都度多くの血が流されているわけだが。

f:id:shojig:20181110171449j:plain

 *メスキータのなかのミフラーブ。この方角にメッカがある。

宗教間の対立が近年強調される場面が増えたような気もするが、イスラム教徒の間ではキリスト教徒もユダヤ教徒も同じ神から教えを受けた啓典の民として敬意を払われてもいる。 

f:id:shojig:20181110173414j:plain

イスラーム装飾そのもの

メスキータには16世紀に大改築が施された。スペイン王カルロス1世の命による。ただ、工事担当者はモスクの造りに感じ入ったようでかなりの部分を従来のまま残している様子である。内部は列柱の森である。イスラーム装飾が美しい。モスクの趣を多く残しつつも、キリスト教の祭壇があちらこちらに設けられている。

f:id:shojig:20181110171551j:plain

*メスキータのなかのキリスト像

ところでこのカルロス1世、メスキータの大改築(多くの柱を撤去、中心部に巨大な祭壇を設置した)を行って後、こういって嘆いてみせたという。「あなたたちは世界唯一のものを壊し、ありふれたものを据え付けた。美しいカテドラル(大聖堂)は数多くあるが、コルドバのモスクはかつて比類なきものだったのに」 

命じた本人が何をいっているのかとは思うが、そう感じるのは生きる時代も信仰も異なる者ゆえなのか。とはいえ、このエピソードはこの王がサイコパスだった可能性を示唆しているようにも思われる。まあ、名を残すような王は程度の差こそあれ皆サイコパシックとみてよいのかもしれないが。

f:id:shojig:20181110171830j:plain

*ステンドグラスを通して射し込む光

ところで、イスラム教圏でモスクを訪れるたびに思うのだが、このつくりは神の世界を表現しようとしてのものなのではないか。空間芸術とでも呼ぶべきわざだと感じる。美しくも荘厳なモスクは好むところである。ひとり旅であれば半日くらいぼーっとして過ごすことだろう。

f:id:shojig:20181110172556j:plain

イスラム教とキリスト教の融合

ところで前日訪れたセビージャのカテドラルも壮大で荘厳なつくりなのだがモスクに比べるとどうしても説教くさく感じてしまう。比較するものでもないのだが。それとも僕が単にアラビア文字を解さないからそう感じるだけなのか。アラビア文字が読めない僕には、コーランの文言が記されてあったとしてもただの美しい文様にしか見えない。

f:id:shojig:20181110171926j:plain

*外に出ればアンダルシアの強烈な日差しが待っている