ベルリン旅行記 [8] ベルリンフィルのこと
- ベルリンには六日間滞在したのだが、その間のほとんどすべての公演が全席完売であった。席が残っていたのは6/24夜の公演のみだった。指揮者はサイモン ラトル氏とある。ベルリンフィルの首席指揮者だそうだ。僕は知らなかったのだが著名な人物らしい(こんな自分が席を取ってしまい申し訳ない)。
- 取れたのはB席、価格はひとり91ユーロ(約12,000円)。予約はオフィシャルサイトで行った。ここ https://www.berliner-philharmoniker.de/ である。予約確認のなかで戸惑ったのが Shipping か Collecting customer かの選択であるが、これはチケットの事前郵送か現地ボックスオフィスでの受取りを望むかである。現地受取りを選んだ。
- 今年11月に東京と川崎での来日公演が予定されていることを知った。指揮者は同サイモン ラトル氏。価格はB席で36,000円。僕たちが取った席の3倍である。しかも既に全席完売とある。ベルリンならかなりお得である。
- 開演は19時。18時にアインフュールング(Einfuhrung)とある。これは何だろう?開演前の解説、講釈が聴けるらしい(我ながら何も分かっていない)。
- チケット売り場横の窓口で予約確認書(予約確認メールを印刷したもの)を提示してチケットを受け取る。そのまま講釈を聴きに三階へ。既に大勢の人が聴き入っている。席はもうない。しかも当然ドイツ語なのでわからない。ドイツ語の響きは好きなので聞いていること自体、苦ではないのだが、とにかく暑かった。なぜか僕一人が大汗をかいているのである。何なのか、病気か。東洋人がわけもわからず大汗をかいているのも見苦しいと思ったので退散し、奥の涼しい席で開場を待つことにした。
- 階下にはシャンパンやら何やらで歓談する人々が大勢見える。社交場でもあるようだ。イブニングドレスに身を包んだ婦人連、ジャケットにジーンズとラフな紳士と、音楽文化が根付いた土地とはこういうものかと思う。くだけたTシャツにサンダルといういで立ちの日本人もいた。
- 開演後、一〇分ほどは目を閉じて旋律に聴き入っていたのだが、眠りに落ちた。ふと気づいて、あ、今自分寝てたわ、と思った。一瞬のマイクロスリープかと思ったが、家内によれば15分ほど寝入っていたらしい。日本を離れて二週間、疲れていたのだろうか。ベルリンフィルならば胸に響く音楽で涙でも流してしまうのではないかと心配していたのだが杞憂であった。
- 以前、吹奏楽をかじったこともあるのだが、己の音楽への素養のなさに愕然とする思いである。聴衆は皆拍手していたのですばらしい演奏だったのだろうが、僕にはびっくりするくらいに理解できなかったのだ。これは感性の問題である。吹奏楽をかじっていた時期にも薄々感じていたのだが、今確信した。若かりし日の直観はたいてい正しいものである。
幕間に外で休憩する人々。風は涼しく目も覚める
- 午後9時過ぎに終演となったのだが、指揮者は何度も出たり入ったりして忙しそうだ。そういうものなのだろう、と思った。
- 帰路はまだ全然明るくて、身の危険を感じることもなくホテルに着いた。夏のベルリンはとても日が長い。
アブダビ旅行記 [12] ルーヴル アブダビのこと(あるいは未完成のこと)
- ホテルの部屋に入り、シャワーを浴びてからひと眠りした。気が付けば午後三時である。
- 市内の主要施設を巡るシャトルバスがホテルから出ている。今は観光シーズンではないようで、運行は朝と夕の日に2回。観光するのにベストなのは冬だそうだ。夏は暑過ぎるのである。
- ところで、アブダビを旅程に組み込んだのはルーヴル アブダビを訪れようとしてのことである。二〇一五年開館であるとずいぶん前にどこかで見た。
- 出国前、アクセスの方法について調べた。旅行記とか書いている人がいるだろうと思ったのだが、まったくヒットしない。そもそもオフィシャルサイトにすら案内が載っていない。
- 実はまだ完成していなかったのだ。宿を予約した後に気付いた。当初の予定から延期を重ね、現在も開館時期未定の状態が続いている。ルーヴル アブダビのサイトにはここ数ヵ月の間ずっと “Opening soon” とある。何なのか。
- 神の思し召しに従って工事は進んでいるのだろう。気を取り直して午後四時発のシャトルバスに乗り込み、グランド モスクへ向かった。
- 美術館もいいのだがモスクも好きである。いずれはメッカ巡礼もしてみたい。メッカのグランド モスクにはイスラーム教徒しか入れないので、改宗もありだとこっそり考えている。
アブダビのグランド モスクはモダンでファンシー
- ホテルの中や車の中は冷房が効いていて快適なのだが、一歩でも外に出れば灼熱の世界である。意外やアブダビは湿度も高い。湾岸に位置するためだという。高気温に高湿度。山形県を上回る過酷な環境である。車はビュンビュン走っているのだが、外を歩く人影は一切見えない。
アブダビ旅行記 [11] 安いタクシーとアーリーチェックインのこと
- 空港を出たところにタクシー乗り場があり、案内係がタクシードライバーとの仲介役になってくれた。ホテルまで約20kmある。料金は65ディルハム(約2,000円)以下だという女性ドライバーに頼んだ。
- 調べてみればアブダビのガソリン価格は一リットル1.72ディルハム(約55円)と出た。産油国プライスである。ガソリン価格が安いのでタクシー料金も安価らしい。
- 道中、信号はひとつも見なかった。車は100km超のスピードで飛ばす。高速道路なのだろうか。交差点はラウンドアバウト。一方通行の道が多い。ホテルにはメーターが60ディルハムを示す前に着いた。
酷暑のなか植物は元気であった
- ホテルに着いたのは午前八時半だった。規定のチェックイン時刻は十四時なのだが、そのままチェックインを済ませ、部屋を使わせてもらえた。
- エアベルリンでは意外とよく眠れたのだが、エコノミーの機中泊は半ば徹夜も同然である。シャワーも浴びたい。アーリーチェックインとさせてもらえてたいへん嬉しい。そういえば二年前イスタンブルでスラに泊まったときもそうしてもらえた。図々しいようだが有り難い話である。
湯船がアラビック
アブダビ旅行記 [10] シャングリ ラでレイトチェックアウトのこと
- ラウンジでモスクを眺めながらぼんやりしていたところ、女性スタッフがやって来て、しばしとりとめのない会話をした。その後、もしよろしかったらフィードバックをいただけないかという。もちろん構わないと伝えると、iPadを渡された。受けたサービスについて、また特定のホテルスタッフについて、評価してくれということのようだった。
- 不満などまったくないので褒め倒しの評価とコメントを送った。
午後6時から二時間がお酒も飲み放題の "Happy hours"である(※時間制限はイスラームの国ゆえか)
- アブダビには二泊して、三日目22時発の便で帰国する予定である。最終日はホテルをチェックアウトして後、市内観光でもして夜に空港へ向かおうと考えていた。しかしとにかく暑いのだ。聞けばアブダビのベストシーズンは冬だという。道理である。
- 疲労もあるので無理は良くない。チェックアウトの時間ぎりぎりまでホテルにいて、あとは空港でおとなしく搭乗時刻を待とうかと考えていた。
- 二日目の午後、ラウンジの女性スタッフから声をかけられた。フィードバックをありがとう、ところで明日のあなたたちのご予定は?という。実は特にないのだとこたえた。フライトの時刻を尋ねられたので22時と伝えた。すると、もしよろしければレイトチェックアウトの手配をするという。チェックアウトの時刻は(本来12時のところ)18時となる。出発までは少々時間があるが、それまではフロントに荷物を預けてこのラウンジか、カフェで過ごすのはどうかと提案してくれた。もちろん追加料金は不要だという。
- ワンダフルである、と思った。
もうこのラウンジに住めばいいのではないか
ケルン旅行記 [3] ケルシュのこと
ビールのことにまで頭がまわらなかった
- 秋田で田沢湖ビールを鯨飲していた時期があったのだが、そういえばその中にケルシュという種類があったようにおぼろげながら記憶している。ただしケルシュと名乗れるのはケルンで醸造されたビールに限られるようなので、それはケルシュ風ビールというのが正しいようだ。
- 家内に促されて初めて知った。僕としたことがうっかりしていた。二日目に気づけて幸運であった。
- Googleが勧めるパブの中で桁違いの高レビューを集める店が中央駅前にあった。フリュー アム ドム(Fruh am Dom)という。醸造所直営レストランとある。
- 午前にヴァルラフ・リヒャルツ美術館を訪れて後、正午を少し過ぎたタイミングでFruhに立ち寄った。屋外道脇の席には大勢の客が昼からケルシュを飲んでいて楽しそうだ。ウェイターに声をかけると、屋外と屋内どちらが好みかという。涼しいほうが良いので屋内をと頼んだ。好意だったのだろうか、静かなスペースに案内してくれた。
- ケルシュは誰かが書いていたのだがわんこそば方式のビールである。200mlの円筒形グラスに注がれたビールを飲み干せば、ウェイターが次々と注ぎ入れてくれる。グラスの上にコースターを乗せるのがもう十分だというサインである。
- 注いだ回数分、コースターに線が引かれる。頼んだおつまみもコースターにメモ書きされていた。お会計はこのコースターを用いて行われる。コースターそのものが伝票となる。
ケルシュとコースター伝票
- ケルシュは低温醸造、非熱処理ビールのため、長距離輸送に不向きなのだそうだ。ケルン市外にはほとんど出ていないため、ケルシュ愛好家ははるばる足を運んでケルンの地ビールを味わうのだという。
- おつまみにとメニューからタルタルと記されたものを頼んだところ、生の豚ひき肉が載せられたパンが出てきておぅと思った。タルタルと見てタルタルソースをイメージしてしまっていたが、本来の意味は生素材である。これはこれでケルシュに合い、美味であった。
タルタル(ユッケ)パン
- お店の人々はみな感じが良くて、いきなり当たりを引いたもようである。グラスは空いてないかと、ウェイターがちょくちょく顔をのぞかせてチェックしていってくれる。ウェイターたちはいかにも醸造所で働いていますという恰幅の良さで、朗らかですばらしいと思った。
- 次の予定が控えていたので、ケルシュを3杯飲んでいい気分になったところで店を後にした。また訪れたいFruhである。
アブダビ旅行記 [9] アラブの世界の数字のこと
- ホテルのエレベーターに乗り込んで、目的の階のボタンを押そうとしたのだが、どれを押せばいいのかさっぱり分からない。アラビア語勉強不足の報いである。
エレベーターのフロア表示が読めない
- 一瞬あせったが、アラビア数字で記されたボタンはもう一方の側にあった。
- ここでふと思った。僕はこれまでアラビア数字に親しんできて、そして今アラブの世界にいるはずなのに、なぜ数字が読めないのか?と。
- そういえばアラビア語の入門書で一瞬見た数字の解説ページがこれだったような気がする。
- アラビア語のなかで使われている数字とアラビア数字は異なるのだ。どうやら、僕が普段日本で使っているアラビア数字は、アラビア語のなかではインド起源の「インド数字」として扱われている。アラビア数字とはヨーロッパ視点の呼称なのだ。
- 僕は「アラビア数字」なら読めるが、「アラビア語のなかで使われている数字」は(まだ)読めないのだ。ややこしい。
アブダビ旅行記 [8] シャングリ ラのなかの運河のこと
- シャングリ ラ ホテルの敷地内にスーク(市場)がある。貴金属店、宝飾店、絨毯売りの店、ランドリー店、日用品を扱うスーパーもある。アブダビは生活用品の多くを輸入に頼っているようで、スーパーで売られている商品の価格は概して高い印象だった。
- スークにあるランドリー店には軽く場違い感を覚えたが、まあスーパーもあるくらいだし、とこのときは深く考えず通り過ぎた。
- 敷地内には小さな運河が走っていて、たまにボートが通る。宿泊客は自由にこれを利用できると聞いた。
- グランドモスクからタクシーで帰ってきたとき、ドライバーはなぜかホテルのメインエントランスでなく、隣接するスークの入り口に付けた。スークを見学してのち、インフォメーションの女性にここからホテルへ戻る道を訊いたところ、歩いても帰れるがボートに乗って帰ることもできるという。
- ぜひボートでお願いしたいと伝えると、ランドリー店を紹介された。そこでボートを呼べるのだという。
- 改めてランドリー店を訪れ、店主らしき人物にボートでホテルに戻りたい旨を伝えると、すぐ手配してくれ、停泊所まで案内してくれた。3分ほどで来るからここで待てという。
- 待っている間は少々暑さがこたえたが、ボートはすぐに来た。
来た
- ボートの船頭は、このままホテルにまっすぐ帰るか?それとも運河をひと回りしてから帰るか?と訊いてきた。せっかくなので、ひと回りしてから帰りたいと伝えた。
- 運河を端までゆき、そこからUターンしてホテルまで、ゆったりとした水上のときを楽しむことができた。必要性などまったくない、この明らかに無駄な時間、効率性の度外視とは、豊かな時間の一側面でもある。
ホテル内運河
- 純粋に楽しいひとときであった。
※ただ舟に乗っているだけの動画も撮った。